水商売の経験は私の中で活かされている

仕事

「水商売から学んだことが私の中で活かされている。」と、今まで何度も言ったことがありますが、理解できない人からは「大袈裟な」と、言われます。

自分が知っている水商売という世界は、決して可哀そうな人だけが働いている訳ではないし、お金に苦労している人だけが働いている訳でもないのです。

水商売の良い所を知ってほしいのではなく、私の中でその経験は「なくてはならない存在」であることをお伝えしたいと思います。

夜のお仕事「水商売」に飛び込んだ理由

私は、東北にある地元の高校を卒業後、就職のため上京してから普通のOLとして暮らしていました。

上京して2年が経過し20歳になった私は、平凡な毎日に飽きてきて、その上体力もあったため、何か今までに経験したことがないような楽しいことをしてみたい。と、好奇心旺盛な女子でした。

土日が休みであったため、旅行やテーマパークで遊んだり、夜遅くまで六本木で遊んだり、おしゃれなバーに行ってみたり、他にも色々遊びましたが出費が大きく、すぐに飽きてしまいました。

何かアルバイトをしてみよう!

そう思い求人誌を見ていると、夜のお仕事の求人がたくさんあり、飛び込むなら今の年齢がちょうどよいことと、「いかがわしくない」ことがわかり、早速応募しました。

水商売を始める理由は人それぞれです。

私は、田舎に帰って来てから水商売の仕事の経験を話すと、
「そんな辛い過去があったのか。」
「借金していたの?」
と聞かれるのです。水商売のイメージはそうなのでしょう。

私は、辛い過去もありませんでしたし、借金もありませんでした。

私は水商売の経験を今でも自分の強みとしています。

初めは惨めな思いもする

入店直後はお店で着る服がないため、お店から貸与してもらいました。

私は元々地味な見た目なので髪にはウィッグを着け、貸与される服はいつも誰も選ばない妖精のような自分に似合わない恥ずかしいドレス・・・。

それが嫌でお店の従業員である黒服にお願いしたところ、
「指名を取ってからわがままを言ってくれ。今すぐにでも辞めてもいいのだから。」
と、言われました。

とても、傷付きました。

私が勤めていたお店は大きいキャバクラでした。
ホールが大きいので、女の子の在籍人数も当時は100人以上いたのです。

100人の中には主力の売れっ子のお姉さんたち、経験は1年未満だが売れている女の子たち、入店したばかりだがモデルやレースクイーンを仕事としている美少女たち、何年も在籍しているが売れることなくヘルプのプロとして在籍している女の子とお姉さんたち、そして私のような見た目の地味なヘルプだけの女の子たち。

自分の立ち位置を考えても、お店にとっては忙しい時の人数合わせで、いつ辞めてもいい予備軍であるにも関わらず、貸与した服に文句を言うなと言われるのもわかりますし、筋も通っています。

この黒服の発言は昼の仕事では大問題になるようなことですが、水商売では自分の立場も踏まえて考えなければいけません。

そして、ヘルプとしてお客様の席に着くと悪い意味でのため息をつかれることが一番辛いことでした。

「高い金払ってこんな女かよ。帰るよ!」と、何度言われたかわかりません。

こんな嫌な思いをしてまで働いていたのには理由があります。

どうしても売れっ子になりたい。

一時でもいいから華やかな舞台に立ちたかったのです。

初めての指名の取り方はお客様に教えてもらった

入店して2か月経過しても1つも指名を取れなかった私は少し落ち込みます。

お店で着る服も店からの貸与ではなく自分で購入し、髪型もウィッグを着けなくても綺麗に決めることができていました。それなのに、何が足りないのだろう・・・。と、いつも考えていました。

いつも先輩お姉さんのヘルプで席に着いていたお客様方は、色んなことを教えてくれました。

お客様は私を教育してくれました。

「ヘルプなら今の接客や会話で十分盛り上がるし、楽しい時間を過ごせるよ。でも、それは指名の女の子が戻って来るまでの繋ぎの時間だから。」

「指名を取りたいと思っているなら、ヘルプの時と同じ接客方法では無理だよ。」

「相手の話を聞く時1度、真剣に相手の目を見て聞いてごらん。相手の心に入ることができるかもしれない。」

なるほど・・・。

ただ、真面目に働いて、盛り上がっているだけでは指名獲得はできないのか。

教えてもらった通りに、目を見て接客するようになりました。

初めはとても難しくて、恥ずかしくて慣れませんでしたが、慣れてくると、

「あなたの目に吸い込まれそうだ。」
「こんなに真剣に自分の話を聞いてくれて嬉しい。」

と、言われてすぐに指名が入るようになりました。

指名の本数は増えていく一方で、教えてくれたお客様全員に感謝の気持ちを伝えたくても、もうヘルプに着くことはなくなりました。

真面目に働いていれば、必ず誰かが助けてくれます。

お客様から食を教えてもらう

お客様とお店が始まる前に食事をして入店する同伴という1つの仕事。

殆どは、お店の近くの少しおしゃれな居酒屋などでしたが、中には高級なお店に連れて行って頂いたこともありました。

蟹は、初めて食べた時に食べ方がわからず、お客様に教えて頂きました。

鰻を初めて食べた時、見た目と違って美味しいことがわかり、食わず嫌いをしていた今までが勿体ないと痛感しました。

牛肉のしゃぶしゃぶを食べた時、高級なお肉の美味しさに驚きました。

すっぽん鍋を頂いた時も思っていた以上に素晴らしく美味しく、何よりも次の日の肌の調子、体調が良くなりました。

フグ鍋もとても美味しく、今までで1番美味しい雑炊を食べました。

日本料理、フランス料理、イタリア料理、ギリシャ料理、中国料理、韓国料理、インド料理も普段友達と行くようなお店ではなく、高級で本格的なお店に行くことができました。

お客様の中には普段から家族と一緒に高級店に行っている方もいれば、一緒に行く家族も恋人もいないから行ってみたかった。
と、言うお客様もいました。

恥ずかしながら、コース料理の時のナイフとフォークの使い方や、盛り皿から取り分ける時のマナーなど、知らないことばかりの私に、お客様は親切、丁寧に教えてくれました。

様々な食を知ったり、様々なお店にいくことで色んなことが広く見えるようになりました。

食を知るということは、こんなに大事なことであったのだと感じました。

お客様と一緒に同じものを同じ空間で食べることにより、特別な何かを教えてもらえたような気がします。

お店にいる時よりもお客様も私も本当の自分を出して本音で話すことも多くありました。

水商売の仕事をしていなければ一生出会うことがなかった食、お店ばかりです。

今でも、それはお客様にとても感謝しています。

みんな強くたくましく生きている

お店に来るお客様は色々な人がいます。

サラリーマンの方は1か月に1度、お給料日に来店する方が殆どでした。

私を指名するお客様の殆どは会社の接待で利用してくれました。

1年に2回、ボーナスが入った時に来店してくれるお客様もいました。

そして、私が最も指名本数も売上も上げていた時は、高級シャンパンを毎週50本以上入れてくれるお客様、1本数万円もする高級ワインを毎日飲みに来店するお客様もいました。

私にとっては、お客様全て平等に接客していたつもりです。

私は6年間という短い期間の水商売人生でしたが、その間に羽振りの良いお客様ほど世の中のちょっとした動きによって経営していた会社が倒産するお客様も少なくはありませんでした。
当時は心配していましたが落ちては這い上がり、落ちては這い上がるお客様が多かったのです。

今まで私に辛いことがあっても乗り越えて来れたのは、強くたくましいお客様を見て来たからです。

男の人は弱いと言う人もいますが、私は男の人はやっぱり強い、どうにかして乗り越える力がある。と、思っています。

そして、都会の怖さ、お金の怖さを実感させられました。

これも水商売で学んだ1つのことですが、できる事なら私が携わってきたお客様みんな幸せになってほしいです。

夜の世界に夢を見に来る人は強くてたくましいのです。

同僚とは仲良くしないこと

これは水商売だからという訳ではなく、私は今までの全ての職場において同僚とはプライベートの時間をなるべく共にしないようにしていました。

職場の歓迎会や送別会など必要最低限のことには参加します。

なぜなら、仕事が終わってからも職場の人と一緒に食事したり、休日なのに職員旅行に出かけることはとてもストレスになります。

あくまでも私が思っていることです。
良い仕事をしたいし、職場の人とは良い環境で仕事をしたいからこそ、仕事が終わったら職場の人とは会わない。

仕事とプライベートを分けることができないと私は仕事が好きになれませんでした。
自分は何て難しいのだろう・・・。

お店に在籍している女の子を見ると、仲良くしていたのに急に仲が悪くなる。

理由は自分を指名してくれていたお客様が友達に指名を変更したから。

こんな面倒な友達関係は嫌です。

同じお店に居れば、お客様が指名を変えることはよくあります。
私が勤務していたお店は「永久指名制」ではなく、自由でしたから。

ですから、そんなことに目くじらを立て友達関係でギクシャクするようなら、友達と同じお店で働くことは避けた方がいいのです。
それとも、1匹狼でいるか。

水商売に限ったことではありません。

いつも職場の同僚と食事をしたり、お酒を飲みに行ったりしているとお互いに成長はありませんし、小さい円の中で同じ愚痴を毎回言うだけで終ってしまいます。

他の会社の人、他のお店で働いている女の子と食事したり、お酒を飲んでいる方がプライベート感があります。
そればかりではなく、自分が行き詰まっている時に新しい考え方でアドバイスをしてもらえたり、同じ業種で情報交換にもなります。
とにかく、後悔することはありません。

私はお店の同僚に悪口を言われることもありましたが、指名を取れるようになるとそれは当たり前のことです。

私には私にしかない良い物を持っています。
しかし、悪口を言っているその人にも、その人にしかない良い物を持っているのです。

新しい自分を見つけ出し、強く前進することを考えていればいいのです。


生活は一変するが充実した仕事ができる水商売

水商売に飛び込んでから半年で私は勤務していた会社に「夜のお店で働いていること」がバレます。

副業禁止の会社でしたので、上司と部長には「夜のお店の方を辞めなさい。」と、言われました。

しかし、水商売から離れたくない私は会社の方を辞める選択をしたのです。

お金に相当困っているのではないか・・・。
ねずみ講をやっていたらしい・・・。
男にお金を貢いでいたらしい・・・。

そんなありもしない噂がすぐに流れました。

小さいな・・・。何か、違うな・・・。

お店の先輩お姉さんたちもお客様もそんなつまらない話をしません。

そんなつまらない話は、酒のつまみにもならないのです。

自分の居場所が変わったのだと思いました。

水商売だけの生活が始まりました。

とてもとても忙しく、思い描いていた優雅な生活とは違うものでした。

しかし、それがまた自分を変えるきっかけになりました。

忙しく毎日を送っていると、無駄なことやマイナス思考なことを考えなくなります。

今までの仕事では味わったことがない忙しさと、自分を求めてくれる場所がありました。

先輩お姉さんが言った「無駄な努力はない。」という言葉は本当でした。
その努力の結果は付いてきましたし、お給料は会社勤めの時の10倍になりました。

それまでは事務職の経験しかなかったのですが、自分は意外にノルマや数字に向かって頑張ることが好きなのかもしれない、と新たな発見をしたこともあります。

忙しくなると、お酒を飲んでいる時間もありません。
1口飲んで話しているうちに、他の席に呼ばれます。

超売れっ子ではありませんでしたが、仕事が充実して「今までの人生で一番楽しい」と思えました。

今思うと、頑張れる時に頑張っていて良かったと思います。

水商売の経験はこれからも私の中で生きていく

遂に水商売という仕事を辞める時がきます。

26歳の誕生日の直前でした。

最終的に昼夜逆転の生活で体調に変化が現れたのです。

お店の従業員、店長には辞めることを反対されたため、最後のお別れをすることができない状態でお店を去り、その後二度と水商売の世界には戻りませんでした。

その後も今も私は幸せに地道に暮らしています。

あの時、水商売の経験をしなかったら・・・私はもっと弱かったでしょう。

会社での早い出世もなかったかもしれません。

私は水商売に出会ってここまで来ましたが、みなさんにも「これに出会ったから良かった。」と、思える何かがあるはずです。

もし、「ない。」という人がいれば…これから出会いがあるはずです。

自分の強みになる何かが。

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